_ ジョン万次郎と日野原重明先生の熱い思いと志
帰ってこられたとことのこと、日野原先生(聖路加国際病院理事長)が発起人となって、ジョン万次郎の生き方、志に共感する日野原先生が
老朽化したホイットフィールド船長の家(ジョン万次郎が養子になり学校にも行かせてもらった大恩人)を買い取り・修復されたものです。(先生の熱心な呼びかけで胸を打った関係者の寄付もあり、一億円超が一年半集まる)
漁の手伝いで遭難し手、5日半漂流後奇跡的に無人島に着き、143日の凄惨な生きのびる生活をしていたところへ、アメリカの捕鯨船ジョン・
ハウランド号に助けらる。
_ 大変真面目で勤勉なことから、ホイット船長の養子となり、勉学に励み、英語・数学・測量・航海術・造船技術等沢山の知識と経験を身につけ、10年後金鉱で働いたお金で船お買い、ハワイ経由で土佐に帰ってきました。(25歳)
_ 当時は鎖国のため脱藩・国抜けは死刑でしたから命を懸けた勇気ある行動でありました。
知るようになり、時あたかもぺりー来襲で日本が大混乱になったことから、幕府の通訳として認められ、後に咸臨丸に乗り
勝海舟・福沢諭吉・板垣退助など沢山の俊英を連れてサンフランシスコに行くことになります。(福沢諭吉20歳をはじめ殆どの俊英が20歳代)
三菱も存在がなかったかもしれません。
ジョン万次郎が遭難しなかったら・・・・現在の日本はどうなっていたか想像することもできません。
日米大使であったと日野原先生が記念館を作られるお話を熱っぽく語られたのに感動と感激を覚えました。
それにしても坂本竜馬・勝海舟・福沢諭吉の20歳代の皆さんの国を思う志・勇気・行動力など素晴らしい!の一言です。
尊敬する日野原先生ありがとうございました。