人との出会い、縁、が人生の全てと感じています。
_ 54年前荻村伊知朗先生(世界チャンピオン13回)の弟子入りで東京三鷹国際卓球会館に上京したのが東京三鷹に住みつく原因です。荻村先生のようになって”世界中を飛び回りたい”という少年の夢を描きました。
(日本ビジネスコンサルタント、のちの日立情報、そしてビジネスフォームのちのビーエフ) 24人と10人の創業したばかりの会社でした。
どちらも即採用になり(簿記の資格が経理採用になったと思っています)
_ 芝大門と三鷹でしたので、三鷹の縁を選びました。以来“熱血火の玉になって頑張りました“その時三菱銀行の支店長が二代目を育てる為、ジュニアー会を作られ二代目の息子さん達を集め勉強会・飲み会を毎月のようにやっておられました。なぜか二代目でもない私にお誘いが有り、即入会させていただきました。それが縁で40億の工場建設、10億以上の三菱商事との貿易、本社移転(当時池袋で2番目のいいビル)など
_ サラリーマン生活の節々で大変な御恩を受けました、そして現在国際ロータリーのガバナーとしてもご活躍で、これからは“社会に奉仕をすることを考えなさい”ということから、平成24年12月からロータリークラブに加入して、地域の活性化を含む社会奉仕に少しでも役立ちたいと念じております。
_ 本当に人生は人の縁が全てと感じる72歳ですが、もうひと頑張りしたいと念じております。よろしくご指導を頂ければこの上ない喜びです。
_ あんなに沢山の感動・感激を与えてくれた選手達への感謝の応援でした
_ ロンドン五輪のメダリストが20日、東京・銀座で凱旋(がいせん)パレードを行った。史上最多の38個のメダルを獲得したのを記念し、日本オリンピック委員会(JOC)が初めて実施。五輪3連覇を果たしたレスリング女子の吉田沙保里選手(ALSOK)をはじめメダリストら72人が、沿道に詰めかけた約50万人の観衆に笑顔で応えていた
_ 開会式前の女子サッカーから始まって、男子サッカー・男子体操・水泳と、ほかにメダルに絡む活躍も多く、つい見てしまいました。女子サッカー(フランス戦)27本のシュート良くもまあ防いだものだと感心(日本は4本で勝ったのですから凄いです) そして、男子も(エジプト戦)に勝ち44年振りに勝ち上がってきています。 「ちょっとだけ」、「此だけ」ということで、優勝するまで夜深しが続きました。別の種目でも、偉大な軌跡と若手を育てて慕われている北島康介選手“先輩を手ぶらで日本に帰す訳にはいかない”など熱血火の玉集団になった皆の団結力は凄いですね。他にも男子体操・卓球・レスリングなど、メダルに絡む活躍が沢山あり、興奮して見てしまいました。
(204ヶ国参加、10931人選手、26競技、302種目)テレビや他のメディアででオリンピックを観戦する人の数は40億人以上、
勝って涙!負けて涙!どちらも素晴らしい涙です!感動・感激の心に残るシーンが沢山ありました。
鍛え抜いた選手達が“うぬが力を出し切って”!頑張った結果です。
_ 沢山の感動を有難う!!
_ 素晴らしい風景と残酷で悲惨な景色を見て・・・
「東日本大震災 被災地復興支援観光ボランティア」の旅をを挙行。大船戸市〜陸前高田市〜気仙沼市〜南三陸町〜石巻市〜東松島市。現地視察に関しては、必ず地元の方々によるボランティアガイドをお願いし、更に深く現状を理解して、現地の方の思い、そして将来の課題・展望を知ることを心がけその思いも現地の方と共有する努力をして参りました。
_ 凄かったですねー、テレビで見るのとは大違いでした。瓦礫は陸前高田市でまだ6千数百トンあり、今のペースだと160年掛かるとの解説でした。
_ 現在、東北全体で死者1万5867人、避難生活者16万人居られるとのこと、年老いた方、小さな子供たちを抱えたご家族、1戸建ちの広い家に住んでおられただろうにと考えますと、悲惨ですねー残酷ですねー
_ 市役所や防災センターで命を捨ててまで皆を助けようと叫び続けた方のお話を聞きますと身につまされて、涙が出て参りました。
種子は残して、今後の不幸を起こさないメモリアルにはしたいですね
(瓦礫処理のお手伝いは断られました)陸前高田市に1軒しかない小さなプレハブのお土産売り場で両手一杯のお土産を買って帰りました。
(2時46分には皆で黙とうをしながら、復興・復旧を祈念して帰路につきました)
”世界ICTサミット2012” 大変沢山の応募の中から抽選で当たり(毎年参加していますが)今年も参加いたしました(600人以上で大盛況でした) 世界ICTサミットだけに英国の通信大臣をはじめ普通では一同に聞けない、大物の人達の激動する世界のITCの動向と改革のお話を聞いてまいりました。
_ 新聞やテレビに載せてなかったことで感心したことをブログでご紹介したいと思います。
_ アポロ月着陸から(1969年)43年を経過しましたがアポロを飛ばした時より、コンピュータは200万倍のメモリーを持ち電話が出来、地図が数メータ誤差で地球上のどこでも見られ、電子マネーやコンピュータがポケットに入ることを誰が予測していたでしょうか。
考えられますか、それだけにICTを駆使して激動大転換に対処する必要があります。
_ 日本のIT労働人口の不足はフランス並みに女性に働く場所を提供すれば300万人増で15%近くのGDPが上がります。
_ もっと大事なことは若者が失敗を恐れないことです。失敗しても人生はまだまだ続きます。失敗や間違いから学べば、人生はもっとより良いものになり。ます。性別や年齢・勤続年数のようなことだけで人を判断してはいけません。いろいろなアイデアや挑戦心が出てくる世の中にしないと、日本はシリコンバレーのようにはにはならない(日本はまだまだ閉鎖的です) まったく同感です!
_ 竜巻・大雨・突風に見舞われたゴールデンウィーク最後の日の田植え
今年は天候が不順だったこともありゴールデンウイーク最後の日になりました。
_ 田植えは午後2時に予定通り完了しましたが、そのあと竜巻・大雨・突風が発生、幸い被害はありませんでした。(常陸太田地区だった為)
午後からの突然の大雨、さらには近隣で発生した竜巻などありましたが、予定通り5枚の田んぼへの手植えを無事終えることができました。
田んぼ5枚の内、2枚がもち米3枚がうるち米。 秋の収穫が楽しみです。^^
_ 田植えを終えた後の”こごみ””こしあぶら”たけのこと、採りたての素材を天婦羅にしたものと、山菜の炊き込みご飯、香りといい、味といい、絶品でした。(3杯もお代わりいたしました)
_ 農作業で汗を流し、爽やかな空気と天気の中での食事会(ここまでは大変いい天気でした)
_ 皆でワイワイガヤガヤと言いながらの農作業は大変楽しい、心に残る感動の1日でした。
懐かしいノスタルジアをとても感じる。大阪!という感じがする一番の町、今も120万人の人達が訪れる観光名所です。
必ず通天閣に来て、土手焼き・串焼きを食べて、夜になると、北の新地に行ったもんです。
タイムカプセルで戻ったみたいでした。
威勢のいい串かっ屋や将棋盤を10数台並べて、おじさんたちの掛け声や
歓声は庶民的で東京にはない雰囲気を醸成して感動いたしました。
_ 田舎者の私にはとても合う場所なのかもしれないと考えます。
_ 東大日本大震災一周年追悼記念式典に参加して感動!
陛下は心臓手術をされて10数日しかたっておられないのに、お言葉も被災者に心寄せ たゆみない努力と沢山の人々の尽力をねぎらわれる陛下の真の心が伝わってきました。
_ 一日も早く被災地の人達の心休まる、復興復旧が進みますことをお祈り申し上げますとともに、天皇陛下の全快を心より願っております。
_ 2月26日東京マラソンが9時過ぎにスタート
そして東京マラソンに参加した人も、36000人とか、応援も凄い人でしたが、走ってくる人たちの数も半端ではない。地響きがする感じで走ってきた。しかし仮装行列にでも出るような人達も結構おられた。
_ 28万人の人達の応募の中から選ばれた人達。それなりに練習をされたことと思います。思いつきや一時的な気持ちだけで出来るスポーツではないだけに厳しい自己管理をされた人達だと思います。
_ 地響きに似た走者の健康で頑張って走っている様子を見ていると,ジンとくる感動が湧いてきます。羨ましい!何かに熱中できる人の顔は違う!爽やかないい顔をしている!
_ 日本人最高の藤原新さん、JR東日本をやめ無職で走ることに専念した30歳。凄い勇気のいる決断だったと思います。八王子JR東日本におられた人だとか、努力に努力を重ねる凄い青年だと敬服いたしました。
東京マラソン参加者に乾杯!藤原新さんに乾杯!
いろんな大会では優勝しているのに、この全日本の大会は決勝にも今までは行けなかった。苦節13年悲願の優勝をして感動の涙を流した
あの涙には万感の思いが詰っていたと思います。おめでとう!!
_ なにくそ!なにくそ!負けるもんか!負けるもんか!とそのことを一途に考え、一心不乱の練習に打ち込む姿は、見る者を感動させますよね。
_ 小生も卓球少年・卓球青年であった時代があっただけに自然応援に力が入ります。愛ちゃんのようなレベルの高い技量が技術があった訳ではありませんが、世界チャンピオン12回なられた荻村一郎先生の弟子で30歳まで懸命に練習を重ねていました。(社会人ですので限られますが)
5年目に初めていつも負けていた人と合わなかったことから、やっと!優勝出来、感動と感激をして、その試合を最後に引退をいたしました。
_ そのような40数年前の思い出がよみがえり、感動をさせてもらっております。しかし愛ちゃんはまだ23歳、オリンピックも含めまだまだ輝かしい戦歴・優勝の足跡を残すと信じております。
頑張ってください。いつも応援いたしております。
_ 浅田真央ちゃんの技術と強靭な精神力に感動!
幼いころからお母さんと一緒になってスケートをやり始め
どこに行っても、どのような時でも、いつも激励し宝物のようにして
育ててくれたお母さんが12月9日(享年48歳)で亡くなられた。
亡くなる前にひと目会いたい一心で、優勝もできたカナダ・ケベックで開催された「フィギュアスケートグランプリファイナル」欠場を余儀なくされた
“お母さんが降りてきて、これをよろこんでいるとおもう”
素晴らしい!まだ21歳どんなにまで成長するのか楽しみです。